女神の塔

舞踏会の夜、賑やかで煌びやかなダンスパーティーの間から抜け出したところで、ベレトはマヌエラに声をかけられた。


「おぬし、かなり飲んでおったな」

外に出て、葡萄酒の飲み過ぎで熱っぽい頬に手を当てると、頭の中でソティスの声がした。

「なるほど、教員たちの姿が見えんと思うたら、別の場所で宴を開いておったんじゃな」

「ああ。貴族の子息たちにとっては、将来の縁談に関わってくる場でもあるから」

…らしい、とベレトは付け加える。縁談云々は、結婚相手探しに勤しむドロテアからの入れ知恵である。

「暗黙の了解というやつか。教師が茶々を入れぬよう…お、あそこにも逢引きしている者らがおるのう」

見ると、別のクラッセの生徒たちのようだった。


舞踏会の会場に、アッシュの姿は見えなかった。



先刻、教師たちのみの宴の席で、すすめられるままに葡萄酒を飲みながらも、彼のことを考えていた。

普段は酒を飲まないため、酔ってぼんやりしつつも少し高揚している自分の気持ちを面白く感じた。

その時、「アッシュに会いたい」とはっきり感じたのだった。

忙しさにかまけ、加えてアッシュも遠慮がちであるので、普通に会話を交わすことは幾度かあっても、最後に身体を重ねた日はおそらく月単位を遡る。記憶の糸を辿っていると、自然、杯を傾ける手が止まった。

「ぼんやりしておるようだが。酔いが回ったのか?」

ふと気づくとハンネマンがほぼ空の瓶を、こちらの空の杯に傾けようとしていたところだった。

「いや。問題ない」

「いやあ、君の紋章についてはまだまだ聞きたいことが沢山あるのだよ。まさか体力回復の効果まであるとは…」

ハンネマン自身もかなり飲んでおり、小一時間前からベレトの紋章の戦闘中における効果についての聴取がここぞとばかりに繰り広げられていた。

そして前を見ると、フレンがカルヴァドスをロックで飲んでいた。

「甘くてとってもおいしいですわ」

「フレン、もうやめなさい」

困り果てた顔のセテスが諌めようとしている。

??歳と書かれた、フレンの生徒名簿を見たリンハルトが「彼女はどうもあやしいです。聖人との共通点が多過ぎる」と言っていたのをぼんやりと思い出す。

「無礼講というやつだろうか」

次に隣を見ると、ハンネマンは酔いつぶれて突っ伏していた。



酔ってもまだ意識ははっきりしている。夜風を吸い込んで深呼吸する。

アッシュの声が聞きたいと思う。身体に触れたいと思う。部屋に行こうかとも思うが、もしかすると他の誰かと共にいるのかもしれない。

そうなった時、教師である自分は邪魔でしかないのだった。


ぼんやりとあてどなく歩いていると、女神の塔に行き着いていた。

何も考えず階段を上っていると、一番聞きたかった声が降ってきた。

「先生!」

走り寄ってくる姿を確認して、ベレトは何も言わず抱きしめた。

「せ…先生!?あっ、お酒くさい」

「飲んでしまった」

「しまったじゃないですよ!」

「会いたかった、アッシュ」

「……本当に?」

顔を見せてください、と言われ、一度体を離すと、アッシュはまじまじとベレトを見つめた。

「顔はいつも通り…でもお酒くさいから酔ってるんですよね」

「酔ってはいない」

「そういう人に限って酔ってるんです」

酒場育ちのアッシュはくすくす笑う。

「誰かと飲んでたんですか?」

「主にハンネマン」

「……」

「どうした」

「あ、マヌエラ先生じゃなくて、よかったかもって思って。マヌエラ先生、すごく色っぽいから」

ベレトは再びアッシュを抱き寄せて、彼の耳もとにくちびるを寄せる。

「心配していたのか」

「っ……、だって、ずっとこうやってふたりで話せなかったから…今日だって、会えるはずないって思いながらここに来たんですけど、でも会えた」

「運命だろう」

「だったらいいな……」

少しだけ体を離して、ベレトは顔をアッシュの目線に合わせる。宵闇でもわかる緑色の瞳は不安げに翳っていたが、くちづけると、その瞬間は丸くなり、あとはゆっくりと閉じられた。角度を変えて深くなると、ベレトにしか聞こえないくらいの声が漏れてしまう。

「ふ……んん…っ」

解放すると、アッシュは濡れたくちびるに触れながら「葡萄酒の味がする」と呟いた。

「すまない」

アッシュは首を振って、ベレトの肩口に顔を埋め、言った。

「もっとキスしたいです」

キスではすまない。

ベレトはそう言いたい気持ちを堪え、アッシュの手を引いて自室へ急いだ。