もとよりそんな畏れ多いことはできないし、この先もするつもりはないけれど、待ち合わせたりしているわけでもないのに最近は神竜様とよくお会いするような気がしていた。
例えば一息つきに来た午後のカフェテラス。鍛錬のお相手。夕方の厩舎。
そして夜の、ひとけのない木々のあたり。最初にお見かけした時、僕は少し遠くにいて声をかけるかどうか迷って、やめて通り過ぎた。あまり馴れ馴れしくするのも気が引けたのだった。神竜様はこちら側に背を向けて立っていた。
数日後の夜も神竜様はほとんど同じ場所に立っていた。この間と違ったのはソラがいたことで、僕を見つけて軽く鳴きながらこちらに走ってきた。
それで神竜様は振り返って、僕のいることに気がついたようだった。名前を呼んでくださり、そのうえにこやかに手まで振ってくださる姿を見ては素通りなんてできるはずもなく、足もとのソラを抱き上げて向かった。僕は緊張していた。
「最近は星をみることにはまっているんです」
この間もここにいらっしゃいましたね、という僕の言葉の後に神竜様はそう言ってこちらを見た。戦地で指示を下さる時とはまた違う感覚だった。考えてみればこうしてとりとめのないお話をする機会はあまりなかった。神竜様が目覚められたのはつい最近なのだ。
目覚めて、色んな初めてのものに触れて、新しい仲間が増えて毎日がめまぐるしいのだと、神竜様はそれでも嬉しそうに僕に伝えてくださった。疲れた、また眠りにつきたいと告げられてもおかしくないと思うほどに色々なことが起きて、密かにお労しかったのだけど、目の前の笑顔にひとまず僕は安堵した。
「そういえばフランから聞いたんですが、数日中に、百年に一度くらいのすごい規模の流星群が見られるそうですよ」
僕はたいして星に詳しいわけでもないけれど、都合よく思い出して神竜様に伝えた。もっともフランも特別に星が好きというわけでもなく「お肌によくないから夜更かしできないし見られないんだけどね」と付け加えた程度の情報だった。
しかし伝えた途端、思いのほかわくわくとした雰囲気が神竜様から湧きあがってきた。
「流星群! スタルークとリンの…」
「そ、そうですね、ああいう感じで夜空に流れ星がたくさん」
「すごい、ぜひ見たいです!」
いっしょに見ましょう、というまたとない光栄なお誘いを断る選択肢はもちろんなく、数日後、夕食を終えた後から流れ星に備えて待機を始めた。
「クランは盤上遊戯が好きだと聞いたので、これをやりましょう」と楽しげに神竜様が持って来てくださった、物件やお金を集めていく遊戯は二度やって二度とも僕が勝ってしまい、さすがに気まずくなって三度目は僕が負けた。札束の合計枚数を数えた後に一瞬満面の笑みとなった神竜様はその直後にはっと何かに気づいたように僕を見て「手加減しました?」と呟いた。
「まさか…そんなことないですよ」
「あやしいです」
鋭い視線を送ってくる神竜様を前にまいったな、と思いながら頭をかいていると、どこからともなくルイさんが現れて、そろそろ頃合いの時間だと教えてくれた。
流星群を見ることをルイさんに伝えた覚えはなかったと思うので不思議な気持ちはしたけれど、お礼を言って外に出た。すべてお見通しとでも言うようにルイさんは微笑んでいた。
空が広く見える場所を探して、適当な場所に決めた。椅子を持って来ましょうか、と尋ねるも神竜様は「平気ですよ」と微笑んで樹に背中を預ける。
必要であればいつでも仰ってくださいね、と声をかけながら少し離れた所に座ろうとしたその時、手を軽く掴まれる感触がして、信じられないながらもまさか、と思い後ろを振り向くとやっぱりそれは神竜様の手だった。心臓が音を立てた。
夜の暗がりの中で神竜様は鮮明な二つの色の瞳でこちらをまっすぐ見上げて「さみしいのでもっと近くで見ましょう」と言った。
僕は光の速さで自分の体温が上がるのを感じた。かろうじて返事をして、座りこんだ。というよりへたりこんだと言ったほうが正しい。
なぜか手を繋いだまま、神竜様と僕は流星群を待った。僕は問われるままに生まれ育ったリトスのことや両親のこと、妹のことを話した。触れ合った手になるべく意識がいかないように、だけどやはり舞い上がってしまいながらぺらぺら喋ってからふと見ると、神竜様は眠ってしまっていた。三度もの盤上遊戯で少しお疲れになったみたいだった。
小さな頃から見てきた寝顔はフランの言葉を借りるなら最高に尊い。
二度とないこんな状況で神竜様の寝顔を盗み見るのに気を取られて、夜空に目を戻した時にはすでに流れ星の光の尾がちらりと目に入ったのみだった。
「え……今?」
思わず呟く。神竜様を起こすことも間に合わなかった。唖然として夜空を眺めていると、ぽつりぽつりと光の筋が流れた。
思わず大声で「あ」と言ってしまってから慌てて神竜様を見るとちょうど目を開けたところだった。
「神竜様! 流れてますよ」
神竜様は目を丸くして、僕の手をぎゅうと握りながら食い入るように、刺すような光の群れを見つめていた。そんなお姿を横目でちらちら見てしまって、願い事をするのを忘れた。
僕には一生に一度の夜空を神竜様は何度見ることになるのだろう。
なんとなく胸の奥が痛んで、それを打ち消すように、流星が止んだ後わざと明るく訊いた。
「何かお願い事されましたか?」
神竜様は少しの間なにか考えるように黙って、それから困ったように少し眉を下げて、忘れてしまいました、と笑った。
手を繋いだまま僕たちはなんとなく笑っていた。僕は胸の中で、この夜が終わりませんように、と遅れて願い事をした。流れ星に遅れたから絶対に叶わない願い事だった。
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