2023.06.20 10:55星の海の底 もとよりそんな畏れ多いことはできないし、この先もするつもりはないけれど、待ち合わせたりしているわけでもないのに最近は神竜様とよくお会いするような気がしていた。 例えば一息つきに来た午後のカフェテラス。鍛錬のお相手。夕方の厩舎。 そして夜の、ひとけのない木々のあたり。最初にお見かけした時、僕は少し遠くにいて声をかけるかどうか迷って、やめて通り過ぎた。あまり馴れ馴れしくするのも気が引けたのだった。神竜様はこちら側に背を向けて立っていた。 数日後の夜も神竜様はほとんど同じ場所に立っていた。この間と違ったのはソラがいたことで、僕を見つけて軽く鳴きながらこちらに走ってきた。 それで神竜様は振り返って、僕のいることに気がついたようだった。名前を呼んでくださり、...
2023.05.10 11:10マリッジブルー クランの手のひらにあるのは、小さな頃であれば描くことすらなかった、今も到底信じられないような未来だった。自らの、勢いにも似た行動によって思いがけず受け取ることとなったその指輪に埋め込まれた石は、空や海に例えてもしっくりこない不思議な青色をしている。手のなかのそれを見つめた後、中指に嵌めて、少し迷ってからそっと外した。 リュールのパートナーとして公になった後も幾度となくクランは自室でひっそりと恥ずかしがったり落ち込んだりを繰り返していた。主に思い返すのはやはりリュールに想いを伝えたときのことで、「今になって思うとなんであんなことが言えたのか」とか、「あのとき神竜様が受け入れてくれなかったら今頃僕は…」などとそういったことを考えては羞恥を覚えてベッドに倒...
2023.04.14 12:15子供の情景 常人にとっては永遠にも思える千年も、眠っていれば一瞬に思えた。 それほどに長く生きてもまだ知らないことのほうが多い、その多さに眩暈がしそうになる。自分のことを年端もいかない子供のように思えてくる。「これからお過ごしになる時間のほうが遥かに長いのです。焦らずとも少しずつ学んでいけば立派な王となれましょう」 即位式を終えてすぐ、不安を漏らした私にヴァンドレが言った。その傍らでクランとフランは微笑んで頷いていた。 私は数日前にクランに指輪を渡したばかりだった。まだ周囲に言ってはいない。何となく、即位式が終わって落ち着いてから発表しようと思っていた。指輪をしていない左手を見るに、クランもまだ誰にも言っていないのだと思った。「はあ……昨日は疲れました」 次の日...
2023.02.28 10:30祈り「誰も失いたくないと思うのは贅沢なことなのでしょうか」 そのリュールの問いかけにクランは少し考えた後、わずかに首を振った。夜も更けた時間の寝台の上、二人並んで天井を見ていた時だった。 ソンブルとの決戦が近づくにつれ、戦いは苛烈さを増していった。自ら先頭に立って剣を振るうリュールは誰に言われるまでもなく敵の戦闘力を肌で感じていたし、それだけに不安は濃い影のように彼の後ろを付き纏った。 誰かを失うかもしれない恐怖。「私は怖いんです、情けないですけど……戦場に立っている間はあまり考えないようにしてるんですが……」 そこまで言うとリュールは自嘲的に笑った。 神竜様がこんな表情をするなんて、とクランの胸は痛んだ。そして思う。こんな戦いなんて無ければそんな顔をする...
2023.02.19 10:40夜はこれから クラン、と困ったような表情でリュールに呼びかけられて、初めて自分が瞬きもせずにじっと固まっていたということに気づいた。はっとして顔を上げると、向かいに座ったリュールが左右異なる鮮やかな色の瞳を細めて微笑むのが見えた。「よかった、目を開けたまま寝てしまったのかと」「すみません! ちょっとぼんやりしてしまって」 笑って応えながら何気なく合わせた視線を外せなくなる。いつもそうだった。その吸い込まれるような瞳の色を、傍らにいた妹と初めて見たときから変わらない。 堪えきれなくなって想いを伝えて、晴れてこうして一緒に過ごすようになってもなお、ますます気持ちが膨らんでいくようで、クランは近頃自分が少し恐ろしかった。「何をそんなに熱心に見ていたんですか?」 言って、...