風花無双 青EP12以降の内容を含みます
帝国軍のランドルフは僕が討ちました。既に弱り切ってぼろぼろになっていたところに僕の放った矢がとどめを刺したというほうが正しいのですが。
人の命を奪うということ、これについてはこの時代においていくら何が正しいのかを考えようとしても、大儀などという言葉が頭を覆いつくしておよそ答えには辿り着けません。僕は、自分自身の正義を信じるしかない、後ろを振り返ってはならないと、自分にもひとにも繰り返すことでどうにか平静を保とうとしていました。ランドルフを討ったその時も、勝鬨の上がる戦場の地を踏む自分の足を意味もなく見下ろしながら息をついて、気持ちを切り替えようとしていました。
ふと左を見るとその人はいました。少し離れたところで立っているのが見えました。砂煙が少したなびいていて、どこを見ていたのかは分からない。もしかしたら僕を見ていたのかもしれないけど、僕がそう思いたいだけだったかもしれません。その人の後ろの傭兵団はざわめいていましたが、その人は微動だにしません。
「間に合わなかったか、灰色の悪魔は」
僕の後ろでフェリクスが呟きました。
陛下がその人に歩み寄ります。ランドルフが討たれ、以降の戦いが無意味であることを告げに行ったのでしょう。
もとより戦いに意味などあるのかと性懲りもなく僕は思ってしまいましたが、軽く頭を振ってその考えを打ち消そうとしました。
そしてもういちどその人のほうを見ました。今度は砂煙に邪魔されることなく見えました。陛下の言葉に無表情のまま軽く頷くその人の瞳は不思議な、暗闇でも輝きそうなとても明るい緑色で、僕はいつか夜の基地で見た黒猫を思い出していました。
黒猫という印象はあながち間違っていなかったかもしれない、と思いました。
猫は色や模様によって性格が微妙に違うと言われています。黒猫はああ見えて案外人懐こいのだというのはとりわけ有名な話です。
彼の見た目はどことなくつめたそうな感じがするけれど、人が嫌いで自ら遠ざけているというわけでもないのだと、数日のうちに理解できました。理解すると同時に、そんなに目で追ったりしてたのかな、とちょっと首を傾げたくなる気持ちにもなりました。
「だって歳、同じくらいでしょ? ぜんぜん何か気負ったりすることないと思うけど……アッシュってそんなに人見知りだったっけ?」
ほぼ初対面から彼を呼び捨てにして気さくに話しかけていたアネットは言います。
アネットの明るく親しみやすい感じは紛れもない長所です。僕も、そんなに人付き合いに臆するタイプではないはずでした。
なのに僕は何となく、何と呼べばいいかさえも決めかねて、用のある時は「あの」とか「すみません」とかで呼んでいました。
その日も資料の整理中、僕がまた「あの」と声をかけると振り向いた彼は言いました。
「ベレトでいい」
「…あ、じゃあ、ベレトさんで」
無意味に一瞬笑ってしまったところで、声をかけた本来の用事を伝えて、ベレトさんの近くにあった資料を手渡して貰いました。
「ありがとうございます。……あの、僕の名前は覚えてますか?」
思いついて尋ねてみると、ベレトさんは一瞬考える素振りをみせて、それから僕のほうをまっすぐに見て答えてくれました。
「アッシュ」
僕はいつも、ベレトさんの瞳を見ると金縛りにあったようになり、何故だか心臓もドキドキします。そんなわけのわからない状態になっている僕を見ながらベレトさんは言葉を続けました。
「ランドルフが討たれた場所で見たよ」
まさかランドルフの名前が出ると思わなかった僕は「え」と小さく声を上げてしまいました。やっぱりあの時、ベレトさんは僕を見ていたんだと確信しました。さっきとは違う要因で心臓が鳴っている気がしました。人を殺して俯く僕は果たしてどんな風に彼の目に映っていたのだろう。到底そんなことは訊けるはずもありません。
「……あの時、苦しそうだった」
動揺する僕の心を見透かしたようにベレトさんが口を開きました。
「僕が…ですか」
頷いた彼は少し悲しそうにも見えました。
「人を殺すのは、それはもちろん苦しいです」
ひときわあの時辛く感じたのは、ランドルフに妹がいたことを知ったからでした。その妹も同じ戦場で討たれたのです。ランドルフの死に顔を見た時、戦場では考えないようにしている妹や弟のことを思い出してしまった。
苦しいのはそういう時です。自分の、自分たちのしていることが全て間違っているのではないかという恐怖。今踏みしめている地面が底なし沼になったかのような感覚です。
知らずに僕は泣いていたようで、気付けばベレトさんがすぐ目の前にいて、ゆっくりと手をこちらに伸ばしてくるのが見えました。そうして僕の涙を指先で拭うと、少し休憩しようか、と言ってくれました。
「あ……いや、へ、平気です」
触れられた一瞬の感触を思い返すと一気に体が熱くなっていくのがわかりました。そんな状態になっていることに気付かれないようにごしごしと目を拭いました。
「……悩みは、話すと楽になるかもしれない」
ベレトさんが言いました。
瞬きをすると、さっきまで涙でぼやけていた視界ははっきりとした輪郭を取り戻していました。雨が止んで虹が出たのを見た時のような気持ちでした。
「僕、けっこうお喋りなんです。ベレトさんと話したいことがあり過ぎて困らせてしまうかも」
「聞くのは得意なんだ」
そう言うとベレトさんは少しだけ笑いました。
僕が、あ、と言うとまた普通の表情に戻ってしまいましたが。
「それじゃ、資料整理を早く終わらせちゃいましょう!」
「うん」
ベレトさんが資料のほうに向き直ると外套が翻って袖が揺れました。
僕はまたそれも黒猫の尻尾みたいだな、と思ってこっそりと笑いました。
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