夏の花

できている現パロです。大学生(教生?)ベレトと高校生アッシュ





 


 蝉の声が聞こえ出したのは一週間ほど前からだった。梅雨と夏の境目が近年は特に曖昧で、道端の紫陽花も枯れてしまっていいものかこのまま咲いているべきか戸惑っているように見える。今日は一度明けた筈の梅雨の続きのような強い雨である。色褪せて萎びた紫陽花が雨に打たれながらわずかに揺れるのを横目にベレトはゆっくりと歩いた。横殴りの雨が吹きつけてきていたが面倒なのか傘をずらすこともしなかった。


 自宅に着きドアを開けると「おかえりなさい」と聞き慣れた声がする。声の主は週に一度ほどこの部屋に来る。ただいま、と返して靴を脱ぎ一歩踏み出すと足もとに柔らかい感触が纏わりついた。下を見ると灰色の猫と目が合った。それはほぼ毎日のことだった。

 抱き上げてリビングに入るや否やアッシュの慌てた声が飛んでくる。

「先生びしょびしょですよ! まさか傘持って行ってなかったんですか」

「差してたけどこうなった」

「いったいどうして……」

 訝しみながらもすぐさまタオルを持って来て手渡してくれたアッシュに礼を言いながら、濡れた髪を拭くべく一度猫を降ろした。

「着替えるかシャワーしたほうが良くないですか? お風呂、お湯ためるならやっておきますよ」

 その言葉にベレトは少し考えた後、徐に目の前の少年との距離を詰めた。無言で近づいて来たベレトにアッシュは少し動揺したが、雨に濡れた手で頬に触れられ、少し冷えたくちびるが重ねられた時には条件反射のように彼の背に手を回していた。

 ベレトの前髪から滴った水滴がアッシュの顔に流れる。その感覚に思わず瞑っていた目を開くと、ゆっくりとベレトのくちびるが離れた。

 名残惜しい気持ちと、なぜ今キスを?という疑問がないまぜになった複雑な感情でアッシュはベレトを見上げた。視線の先の彼はこともなげに

「どうせ風呂に入るなら、アッシュとしておきたかったから」

と言い放った。

「えっ……するって、その…あれ…ですか」

 頷いたベレトにアッシュは思わず絶句したが、「いやだったら別に…」という言葉とともに頰に添えられていた手も離れてしまいそうだったので慌ててその手を握り言った。

「いやなわけないじゃないですか!!大丈夫です!しましょう!!」

「…気合いが入っているな」

 照れ隠しです、などと弁明するまでもなくこの赤くなった顔全体を見れば分かってくれるだろうと、アッシュは何も言わず目の前の彼の胸のあたりに額を押しつけ、少し力をこめて抱きしめた。ベレトがかすかに笑っている気配を感じた。


 行為のあとシャワーを浴び、ソファにいたところ少し眠っていたらしく、起きるとタオルケットがかけられていた。目の前のテーブルではベレトが炭酸水を飲みながらスマートフォンを見ている。その膝の上には猫がだらりと垂れていた。

 アッシュがむっくりと体を起こすとすぐに反応した猫と目が合い、次にベレトと目が合った。

「悪かった、疲れさせたみたいで」

「いえ、今日朝早かったから……最近、朝に予習するようにしてて」

「なるほど、効率的でいいな」

「ってよく聞きますけど、夜にやるのとどっちが明確にいいのか、まだ自覚できてないんですよね」

 とりとめのない話をする。

 いつもなら一週間ぶんの話題を話して(だいたいアッシュが喋っていることのほうが多いが)一緒に食事を作ってそれを食べ、夜中にセックスをするという、ルーティンにも似た流れだったが今日は逆だった。行為には少しずつ慣れてきていたが、ベレトのイレギュラーな発言や行動のせいで今日の行為はまるで初めてのときのように恥ずかしかったり声が抑えられなかったりといった様だった。思い出してまた熱を持ってしまいそうな頬を抑えながらベレトのほうを盗み見ると、猫を撫でながら「そういえば腹が減ったな」などと言っている。この人には一生敵いそうにない、とアッシュは思う。

 夕食を終え、食後のアイスを買うためコンビニへ出かけた。雨は止んでおり湿気が夜の空気や草木の匂いと混ざり合っている。街灯に照らされた紫陽花はさっき見たものだ。数日のうちには枯れ切ってしまうだろうとベレトはぼんやり考える。

「ここらへんって、向日葵咲いてるの見ないですよね」

 少し前を歩くアッシュが呟いた。

「学校では結構見るんですけど」

「向日葵、好きなのか?」

「好きですよ、でも夏の花のなかでもっと好きな花があるんです」

 そう言うとベレトのほうを振り返って「なんだかわかりますか?」と満面の笑みで問いかけてきた。

「ウツボカズラ?」

「ち、違いますよ……ヒントは『お祭り』かな」

「花火?」

「当たりです! 今度はすぐわかっちゃいましたね」

「花火か。見たいな」

「見に行きたいです……先生と」

 いつの間にか隣に並んでいたアッシュを見やる。遠慮がちに付け加えられた、先生と、という言葉にベレトは口もとを綻ばせた。

「うん。行こう、一緒に」

「やった! 僕、日にちとか調べておきます」

 そう言って早速スマートフォンを取り出したアッシュの、後ろ頭ではねる髪を見つけてベレトは手を伸ばす。そっと指先で触れて「ねぐせ」と言うと見上げたアッシュは照れくさそうに笑った。