ハロウィン

 ハロウィンの街は笑いさざめく若い女性や子供たちで溢れていた。

 その街中で、神父に扮しクッキーを配るレンは女性たちの好奇の視線に晒され、辟易していた。菓子の包みを渡せば笑って走り去る無邪気な子供たちはまだ良かった。神父さま、写真一緒にいいですか?などと笑いかけてくる女性たちには困惑する他なかった。トリックもトリートもありはしない、ただ仮装しているヒーローと撮った写真をSNSにアップしたいがために無遠慮にスマートフォンのカメラを向けてくる。わらってくださーい、と泣きたくなるような軽い調子で煽られても笑顔など作れる筈もなく、辛うじて口角を上げるのみだった。隣でピースサインを作り微笑む女性から甘い香りがした。もう嗅ぐのもうんざりするようなバニラオイルの匂いに似ている。

 こういった類の女性たちは苦手で、我慢ならずに一度苦言を呈したこともあった。ガストの知り合いと思われる女性たちが猫を抱きたがっているのを見た時だった。

 しかし今は仕事中であるし、何よりこのハロウィンに注がれているマリオンの熱意を、自分が原因のつまらない諍いなどで水の泡にするわけにはいかないと思い、次の女性との撮影ではピースサインをも作った。かなり下の位置で、控えめにではあるが。女性はさっそくSNSに写真をアップしたと言い、"いいね”がもう付いた旨を喜びながら友人達に報告していた。それを横目で見ながら、レンはクッキーのノルマ分の最後の一つを子供に渡し終え、小さく溜め息をつく。LOMの本番はこれからだというのに、心身ともに早くも疲労が蓄積しつつあった。

 ヴィクターとの待ち合わせには定刻丁度か少し遅れて到着しそうだと思い、心持ち足早に歩く。そんな時、少し離れた前方に見覚えのある吸血鬼姿の男が見えた。目を凝らすまでもなくガストだが、彼もまた女性たちに囲まれている。先ほど思い出した猫と女性の話が浮かび、いつもあいつはああだな、と呟く。女と付き合ったことがないというのも果たして本当なのか、こういった状況を何度も見ると疑念が湧いてくる。甘い香りの女と親しく触れ合うガストを想像すると、これまでに感じたことのない不快感が背中の裏側の辺りを走った。

 立ち止まって少し見ていると、ガストと目が合った。必死な表情で手を振って何事かを言っている。レン、と動く口は見えたが、しかし呼ばれるままに今あの場に自分が行ってどうなるのか、と思う。

 だいたい今感じた不快感も、あいつのことを思い浮かべたせいだ。あいつが女とどうなろうが関係ない。そう考え、顔をそらして歩き出した。ガストが視界から消えても不快感はいつまでも付き纏った。

 そして待ち合わせ場所にてヴィクターから聞かされた話によって、レンはますます大きな不快感を背負うこととなる。


 これまでと今日一日の疲労が一気に襲ってきたようで、帰ってベッドに転がってからレンは動けなくなった。

 程なくして部屋の扉が開く音がして電気が点いた。明りに照らし出されたのはベッドに横たわるレンの姿で、ガストは思わず「うわ」と声を上げた。大丈夫か、と声をかけるも返事はない。近づいて顔を覗き込むとうっすらと目が開いた。

「……放っておけ」

 レンは小さな声で言う。シーツの上に投げ出された腕には注射痕が見える。

 普段の生活の中で、採血後に貼られる小さなテープが少し前から頻繁に目についていたが、ガストは何も言わずにいた。何を言っても鬱陶しがられるのは目に見えている。しかしこうして弱った姿を目の当たりにするとどうしても放っておけなかった。

 レンは徐に体を起こすと、枕元に置いていた小さな壜を手に取った。中には錠剤が入っている。

「それ、最近いつも飲んでるけど何なんだ」

 レンは不機嫌そうに眉を顰めると短く答える。

「…鉄剤。貧血の薬」

「貧血…?」

 採血と何か関係があるのか、ガストが考えを巡らせていると「あ」とレンの声がする。手を滑らせて壜を取り落としてしまったらしい。蓋は開いておりバラバラと錠剤が床に散らばった。

「あー、俺が拾うし座ってろよ」

 言って、ガストは自分のすぐ傍に落ちた数粒を拾うと、少し離れた場所に転がっていった分も拾うべく立ち上がった。その時、同じく離れた場所の錠剤を拾おうとベッドから立ったレンが、立ち眩みを起こしてよろめいた。倒れる寸前で、ガストに抱き留められる。

 肩口で「助かった」とくぐもったレンの声がして、ガストは回した腕に思わず力を込めてしまった。腕の中で、レンの身体は思っていたより意外にしっかりとした感触だった。

 女じゃないし柔らかくなくて当然か、つっても抱きしめたことなんかねぇけど、と思ったところでレンの声がする。

「いつも…女にもこうしてるのか」

 なんだそれ、と言ってガストは一度身体を離した。少し心外だった。勢いで、触れるだけのキスをする。

 それが終わると頬を赤くして、弱り切った表情で「こんなのしたことねぇよ」と呟いた。見つめてみると、こっちまで顔が熱くなってくる。不思議だ、とレンはつい笑い出しそうになるのを堪えながら思う。

「見、……見過ぎだろレン」

 何食わぬ顔で目をそらし、レンはベッドに腰掛けると「鉄剤」と言った。そして口を軽く開いてガストを見上げてくる。鉄剤を口に入れて欲しいのだと気付くまでに数秒を要した。

 もっと栄養のある食べ物を口に放り込んでやりたいものだと思いながらも、ガストは錠剤をレンの口に入れた。その後に水を口に含み、それを飲み下す喉の動きまでもを見ていると、ペットボトルから口を離したレンが「お前も見過ぎだろ」と言った。何をそんなに見つめ合っているのかと考えると、ガストはまた顔が熱くなっていくのを感じた。頭を押さえて「なんか俺まで倒れそうだ」と力なく呟くと、鉄剤なら分けてやる、と涼しい声が返ってくるのだった。