エンゲージ

※大人の方のみどうぞ







 休日はアラームをかけずに好きなだけ眠る。起きると大抵午後になっているが別に然したる問題はない。

「貴方はロングスリーパーですね、こればかりは生まれ持った体質ですのでどうしようもありません」

 研修チーム時代のメンターがもっともらしく告げるのを黙って聞いていた。18歳だった。そういえばあの頃はその体質で同室の男にかなりの迷惑をかけた気がする。

 ガスト。

 起き抜けのレンのぼんやりした脳裏に彼の名前とその、人の好さそうな笑顔が浮かんだ。

 あの頃はいつだって焦れていた。自分に自信がなく苛立っていた。本当はガストに対してよく分からない感情も抱いていた。数年経った今もタワーで偶に会うとその後暫くは情緒が誤動作を起こしている、そういう心地がした。

 研修チームの最後の最後のほうはそんな感情が煮詰まって、ついに会話もままならない状態になっていた。マリオンが「ガストが何かしたのか?」とこっそり言ってくる程だった。

「アイツ、嘆いてたぞ。やっと仲良くなってきたと思ったら振り出しだって」

 仕方ないだろう。

 レンは思う。

 ここまで距離が縮まった人間が今までに存在しなかったのだ。この先どうすればいいのか皆目分からなかったが、ただ一つだけ、特別な存在を作ることへの拒絶感だけは、レンの根底にあり続けた。

 カタン、とドアの郵便受けが音を立てた。

 緩慢な動作でベッドから抜け出し、郵便受けから封書を取り出した。大方その送り主の見当は付いていた。婚約パーティーを自宅で開くので招待状を送ると最近公言していた上司の名前が記されているのを目にし、やっぱりな、とレンは呟いた。

 この時代であってもこういった招待状の類は慣例的に手書きに郵便が主流だ。「酔狂な奴だ」と眉を顰めながら便箋をテーブルに置いた。


 それでも曲がりなりにも直属の上司のパーティーなので、一瞬だけでも顔を見せなければならない。軽く挨拶だけしてあとはすぐに帰宅しようと当日、豪勢な邸宅に向かった。足を踏み入れると大広間は歓談する人々で賑わっていた。上司の好物のフライドチキンが所々のテーブルにうず高く積み上げられているのを目にしてレンは一瞬目を閉じてしまった。目を閉じる前に、広間のあちらこちらに見知った顔が居るのを確認していたからでもあった。この会場全体のカロリーの凄まじさに目が眩んだのだった。

 暫し茫然としていると、記帳を済ませた、研修時代のイーストセクターの同期に背後から声を掛けられた。

「よかった……僕もひとりだと心細くて…」

 数年経ってもそのどこか頼りなげな笑顔は変わらなかった。

 大広間の中央でフライドチキンを手にしながら高笑いする上司に、二人そろって会いに行き、祝いの言葉を伝えた。上司は照れ隠しなのか、レンの隣の、研修チーム時代のメンティーにちょっかいをかけ始めた。隣にいた婚約相手に諫められ、丁度良い頃合いでその場を離れた。

「はあ…相変わらず過ぎて…レンくんはうまくやってるの?」

「ああ、スパーリングを主にやってもらっている」

「そっかあ……腕っぷしを鍛えるのにはいい上司ってことかな…僕はもうこりごりだけど」

 話しているとボーイが盆に乗せたカクテルや軽食を勧めてきた。

 知った仲の同期と一緒だったこともあり、せっかくだからとカクテルに手を伸ばした。隣の同期は嬉しそうに甘いものを手に取っている。

 犬は元気か、などといった世間話を軽くしていると、相手のスマートフォンが鳴った。画面に目を通して彼は言った。

「ねえ、ビリーくんとか13期のみんな、2階にいる人が多いみたいだから移動しない?」

「え、俺は…」

「2階のほうがレンくんの好きそうな料理置いてるみたい、って書いてあるよ」

 もう帰るつもりだった、という言葉を飲み込んでしまった。

「……ビリーか」

 周囲のあらゆる人間の好みを熟知しているビリーの発言であることに疑いはなかったが、それでも、行く先にもしかして彼がいるのではと思うと、レンの心臓は騒いだ。豪奢なカーペットの敷かれた階段を上りながら、平静を装うべくカクテルを口に含んだ。

 2階の広間には13期の面々が固まっていた。

 ひとしきり挨拶などをし、シーフードサラダやピクルスなどの軽食をつまんだ。なるほど確かに2階のラインナップのほうが好みだ、とレンは思った。

 咀嚼しながらも抜かりなく周囲を見回す。やはり彼は来ていないようだった。安心したような残念なようなどっちつかずの気分で息をついた。

 手洗いを借りてから帰宅しようと広く長い廊下へ出る。見渡すと客室がずらりと並んでいるようだった。ドアが開いている部屋も所々あり、招待客の休憩室のような役割も果たしているようだ。広めの部屋では喫煙しながら談笑しているキース達の姿も見えた。

 手洗いを済ませ、階下へ降りるべく辺りを見回す。全て似たような同じ造りで頭が混乱した。まあ、来た道を戻ればいいのだと数歩歩いたところで自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 敢えて声のするほうを振り向かず幻聴で片付けようとしたところ、その聞き慣れた声の主に肩を叩かれた。ガストであった。

「レン、やっぱ来てたんだな」

「俺はもう帰るところだ」

 素早くその場を離れようとレンは早足で歩き出す。

「は? おい、待てよ」

 その後をガストが追い、広く長い廊下で二人は暫し競歩のような様相を見せた。

「付いてくるな」

「話があんだよ」

 レンの腕が追いついたガストの手で掴まれる。今までになく強いその力に、レンは戸惑いながら彼を見た。記憶にあった表情とは違う真剣な雰囲気に呑まれた瞬間に、そのまま真横の客室へ引き入れられた。扉が閉まり、施錠の音もした。

 レンは狼狽えたが、努めて平静を装う。

「……何なんだお前は」

「…俺はまどろっこしいやり取りみたいなのは性に合わねぇから、手っ取り早く全部言う」

 呆気に取られながらも、レンはガストに視線を合わせる。切羽詰まった表情だった。

「お前が、研修の最後のあたりでめちゃくちゃ俺を避けるようになった時、俺のこと好きなのかと思ったんだよ。正直」

「な…っ」

「だけど絶対お前はそんなこと、たとえそうであっても肯定しねえ。意地っ張りだからな。だから先に俺の正直な気持ちを言うから聞け」

「……」

「俺はこないだ、やけくそになって、言い寄ってきた女と一瞬付き合ったんだ」

「何の…話だ」

「そんでやろうとしたけど、全然できなかった、……レンの顔が浮かんで」

「お前…、」

 今度は酷く照れているか今にも泣き出すかのような表情をしている。こいつの表情はこんなに目まぐるしかったか、と思うのと同時に、急に抱きしめられて何も見えなくなった。

「見んな…恥ずかしいから」

 頭上に低い声が降った。息を吸い込むと甘い香りがした。懐かしいな、と思う気持ちと同じ速度で身体が熱くなった。

 身体の下のほうでガストの反応を感じて、同じ気持ちだと分かると、レンはぐっと力を込めて彼を引き寄せるとそのまま自分が下になってベッドに倒れ込んだ。

「レン…?」

「意地なんか張ってない」

 硬い表情と裏腹に、その指先はガストのネクタイをゆっくりと解いていた。

「女のときと違って……今度は、できるだろ」

 言い終わるかどうかといううちにガストはレンのくちびるに噛みつくようにキスをした。

「ん…ふ、んん……っ」

 存分に続けたキスの後、レンの融けた瞳がガストを映した。親指でその目尻に触れると少しだけ濡れた。

「レン…、俺のこと好きか?」

「………す…」

 ガストはレンの濡れた口元を見つめて次の言葉を待った。しかしレンは不意に顔を横に向け呟く。

「そんなこと…言われないと分からないのか」

 ガストはふっと笑みをこぼすと、頬に添えていた手を少し動かしてレンの顔をこちらに向かせ再び視線を合わせた。

 不機嫌そうに引き結ばれたくちびるに触れるようなキスを繰り返すと次第に薄く開いていく。舌を差し入れるとお互いの体温が溶けて混ざり合う感覚に酔いしれた。その最中もガストの指先は一刻を争うようにレンのネクタイを解き、シャツの釦を外しにかかる。

 長いキスが終わったときにはレンの上半身はシャツ一枚で、それも釦は外れていて素肌の見える状態だった。

「……エロいな、レン」

「お前、ふざけてると殴るぞ」

「いや、ふざけてねえよ!…それにしても、勢いで脱がしちまったけど、ここでやるのもなあ。客室だしいいのか?」

 レンは身体を起こすと、ガストの昂りにズボンの上から手を当てた。

「ちょ、お前…」

「こんなに硬くしておいて我慢できるのか」

「や、それは……ん?」

 赤面したガストが頭を掻いていると、後頭部が柔らかいマットに沈み、いつの間にか視界にはシャンデリアが煌めいていた。してやったりと言った様子で薄く笑うレンが見える。押し倒されたのか俺、と気づく頃にはレンの指はガストのズボンのジッパーを下ろしていた。

 急展開に置いて行かれそうになりながらも黙って成り行きに任せていると当然のように下着の中が外気に晒された。

 声も出せずにいると、その昂りに何かの感触があった。手ではない、しかし体温を感じる。

 まさかこれは、と思ったガストが上半身を起こして見ると、その予感は的中していた。勃ち上がりつつあるレンのものがガストのそれと触れ合っている。

「俺は……我慢…できそうにない」

 頬を染めて俯きながらそう告げる様は堪らなく扇情的で、ガストの昂りはますます熱を帯びた。

「はー……やべぇ。レン…触ってくれるか」

 ガストがそっと手を取る。レンの手は抵抗もなく促されるままにガストのものを包み込んだ。

 その手が上下を始めるのと同時に、今度はガストの指先がレンのそれの先端に伸びた。触れると濡れている。

「ん、あっ、あっ」

 そのまま弄るとレンは喘ぎながら身体を震わせた。すごい濡れてんな、とわざと耳元で囁くと、だまれ、と吐き捨て真っ赤な顔で睨みつけてくる。

 お互いのものを触り合うという状況に極度に興奮し、息が上がった。気を抜くと達してしまいそうだった。それはレンも同じのようで、時折腰をもどかしげに揺らしている。

 前が開いたシャツの隙間から手を入れて胸の突起を撫でると、きつく閉じていたレンの目がうっすらと開いてガストを見た。

「あぁ、や、そこ…やめっ…」

「ここ感じるんだな」

 指を動かすたび、堪えきれない声が漏れる。さすがに外に聞こえてしまいそうで、キスをして塞ぐ。

「んんっ!ん、んーーー……っ‼︎」

 舌と胸と下半身へ与えられる快感を受け、声にならない声を上げレンが達すると、弾みで強く握られた刺激でガストも同時に熱を吐き出した。


 後始末を終え、身支度を整えると、並んでベッドに腰掛けた。何となくお互い目が合わせられず気まずい雰囲気が流れた。

「……脱ぎ捨てちまったけど、スーツ、皺になってねえか?」

「…ああ」

「なあ、さっきさ、俺のこと好きかって聞いたけど」

「……」

「やっぱ答え気になるから、聞かせてくんねぇかな」

 ガストが傍らのレンの顔を覗き込むと、レンは珍しく逸らさずに彼の目を見つめてきた。彼は思わずたじろぎながらも胸の高鳴りを感じた。

「いつか言ってやる」

「え。い、今じゃねえなー、みたいな気分?」

 レンは頷くと、約束する、と言った。

「…それにしても、言われないと不安とかなんとか、お前は少女漫画か?」

「なっ…お前少女漫画読んだことあんのか」

「ある、姉さんのだ」

 その時ドアがノックされ、外から同期の声が聞こえた。

「ちょっと~、もうお開きなんだってさ」

 レンが急いでドアを開けると、声の主は特徴的なピンク色の瞳を丸くして言った。

「あれ、思ったより出てくるの早いねぇ」

「別に何もしてない」

「そお? 二人でこの部屋入るのさっき見てたし、なんかやたら長々出てこないから声かけてあげたんだけどね」

「いやいや、俺たちはただここで研修時代の思い出を語り合ってただけだよ、なあレン」

「……ああ」

「フーン」

 慌ててガストがレンの背後からにこやかに語りかけるも、不自然さは否めない。意味ありげににやりと微笑むと同期は踵を返して去った。

 鋭く、同時に空気の読めるこの同期の前ではどんなに取り繕っても何もかもが無駄だが、とりあえずはそういうことにしておいてくれるという信頼がある。

「DJ~! あの二人どうだった!?」

「ん? 何もしてないってさ」

 嘘だだの、本当のことを言えだの、広間で13期の声が飛び交っているのが聞こえる。まさかあいつら賭けてんじゃねーだろうな…というガストの声に、レンは眩暈を覚えた。